FIRST CONTACT

雑誌「月刊EXILE」にて同じ宮崎県出身というきっかけから、黒木啓司と井上康生によるインタビュー対談が実現。そこから親交を深めた2人のFIRST CONTACTの模様を今回特別にその時の対談の一部を抜粋した記事でお届けします。

負けたら悔しいし悔いが残る、だったら勝て! と言えるのは、
自分があの負けを経験したからだと思います

  • 黒木啓司(以下、黒):日本を代表する柔道家であり、柔道全日本男子監督でいらっしゃる井上康生さんは、まさにスーパースターだと思います。
  • 井上康生(以下、井):いえいえ、EXILEの皆さんがスーパースターですから。いつもテレビで拝見させていただいています。
  • :ありがとうございます。井上さんが柔道を始めたきっかけはなんだったんですか?
  • :父が警察官で、柔道を志す人間でしたので、小さな頃から父の練習風景を見に行っておりまして。そんなに身体が大きくない父が私のような大きな相手を得意の内股で投げていく姿に非常に憧れて、自分も柔道をやりたいと5歳の時に始めました。
  • ──地元・宮崎にいらした子供の頃から向かうところ敵なしだったそうですね。
  • :私も決して勝ち続けているわけではなく、負けを知って成長させていただいたと思っています。柔道家の父の教えはとても厳しかったですし、柔道を通して学んだことが非常に多かったので、宮崎時代に築き上げた土台がなければ、自分はオリンピックや世界選手権で優勝する選手にはなれなかったと思います。勝っても自分自身におごらず、負けてもくさらず、また努力を重ねて成功へと導く気持ちを私は柔道から学びました。そして、厳しい父の教えがあったからこそ、私はこうして指導者にもなれたと思っています。
  • :柔道は日本が作り上げたスポーツ、文化なので、選手も監督も相当な重圧を背負っているんでしょうね。

  • ──話は遡りますが、井上さんが2008年に現役を引退を決意したいちばんの理由はなんですか?
  • :己の限界を感じたからですね。現役選手としては精一杯やった、と。私は頂点を極めた男だったので去り際も大事だと思い、引退を決めました。
  • :悔いはなかったですか?
  • :悔いはありました。負けて引退を決めましたので。でも、負けて後悔がない人間なんていないと思います。ただ、そこから次に何をやるか、その悔いをどう昇華させていくかが大事と言いますか。私の場合は自分が指導者となって、あの悔いをエネルギーにしているというところはありますね。選手たちに、勝負の世界で生きている以上は勝てと言っています。負けたら悔しいし悔いが残る、だったら勝て! と言えるのは、自分があの負けを経験したからだと思います。

  • :長い人生を考えると、その悔しさをバネにして、いかに次の人生に繋げていくかということが大事ですよね。
  • :第二の人生を指導者として歩き始めた自分にとって、あの負けは大きかったと思います。ところで、黒木さんはアキレス腱を切られたことがあったそうですが、リハビリは相当苦しかったんじゃないですか?
  • :EXILEに加入した年の最初のツアーで怪我をしてしまったので、メンバーやスタッフさんに迷惑をかけましたし、ファンの方たちに心配をかけてしまったので、リハビリの苦しさよりも精神的に苦しかったですね。
  • :私も大胸筋を切って1年間ほど柔道ができない時期があって。日本柔道界の顔的な存在になっていた時期だったもので、そんな時に怪我で休まなきゃいけないことへのもどかしさや悔しさがありましたし、力をつけてきた下の世代に追い越されるんじゃないかという焦りもありました。
  • :EXILEが新体制になってからの初ツアーだっただけに、自分の中で焦りはすごくありました。“14人”という人数の中で、自分の立ち位置やキャラが定まっていなかったですし、休んでいる間に置いていかれてしまいそうで。今だから言えることなんですが。自分はこれからどういう立場で、どういう思いを持って、どう生きていけばいいのかと、自分を見つめ直すことができました。それこそ、あの時期に考えを巡らせていたことが、今回僕が立ち上げた“THE NINE WORLDS”プロジェクトに繋がったような気がしますね。地元の宮崎、九州を皆さんと一緒に盛り上げて活性化することで、いつかアジアにも“THE NINE WORLDS”を発信していきたいと思っています。
  • :柔道は畳と柔道衣と相手さえいればできるスポーツなので、世界中どこへ行ってもできる。私ができることがあれば、喜んで協力させていただきます。選手たちはトレーニング中に音楽をかけながらガンガン追い込んでいるんですが、EXILEさんの音楽を聴きながら、みんな気合いを入れてやってますよ。いつも勇気と元気をいただいています。